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+寄稿掲載にあたって

 二〇二一年 

新型コロナウィルス・

パンデミックによる

先行きの不透明感は

地域社会で住む

希望ある若者達に

閉塞感を与え

何をおこなっても

無駄ではないか、

そのような風潮も

漂い始めた夏の終わり

「流した汗が報われる社会」

の構築に新しい

アプローチはないか

友人 清水教授に

寄稿をお願いしました。

寄稿文「君の汗は美しい」

この「君」は

困難に立ち向かう人

努力する人

汗を流す全ての人に

​あてはまると思います。

 

 君の汗は美しい

 

 

 

 立秋とは名ばかりで、猛虎の勢いであればよいのだが

猛暑のそれはますます盛んという今日この頃である。

この暑さは、五十の坂を越え、肥満気味で、さらに汗っかきの私にとって一入厄介である。

汗をかいた後の対処を少しでも怠ると、スメル・ハラスメントにつながりかねないため

汗などかかなくてすめばよいのにと思うことしきりである。

 これに対して、たとえば、スポーツでかく汗は、むしろ肯定的にとらえられることが多い。

夏の高校野球の甲子園大会や、オリンピック・パラリンピックなどで選手が流す汗は、

むしろ観衆に一服の清涼剤のような爽快感を与え

そこにはある種の美すら見出すことができるものである。

そして、それは、競技スポーツの勝者・敗者といった結果如何にかかわらず

すべての選手に同じく感じることのできるものである。

 もちろん、応援している選手やチームが勝利する、優勝する、金メダルを獲得する

といった素晴らしい結果を出すのであれば、それはそれで大変嬉しいし

観ているだけの自分の気持ちも大いに高揚するところである。

しかしながら、たとえ、自分の応援する選手やチームが

良い成績をあげることができなかったとしても

その汗を美しいと感じるのはなぜだろうか。

それは、おそらく、私たちが、その汗が流されるに至った過程全体を

評価しているからではないだろうか。

 結果に影響を与える要素としては、一般に、運、才能、そして努力というものを

挙げることができよう。

これらのうち、運については、万人に平等ではあるものの

選手の側でそれに影響を与えることはできないものである。

また、才能については、競技大会の選手になるくらいの人であれば

平均的な人よりも恵まれているとはいえるだろうが

その高さは生まれ持ってのものであって

やはり、これも選手の側で影響を与えることができない類のものである。

-1-流す汗

 これらに対して、努力だけは選手の側で影響を与えることのできる要素である。

最後の瞬間までより高みを求めて研鑽を積み

心技体すべてを尽くして競技に取り組んだ

そういうことが伝わるからこそ、その結果如何にかかわらず

私たちはそこに感動を覚え、流された汗を美しいと感じるのであろう。

そして、これが、スポーツというものに対して私たちの持つ

ある意味根源的な感覚なのかもしれない。

 ところで、こうした感覚というものは

社会の公正さを図るものさしにも転用できるのではないかと思われる。

富、出世、名声などという社会的な成功と評価できる結果をもたらす要素としては

運、才能、出自、親の財産など様々な要素があると思われるが

ここに本人の努力も当然に含まれるはずである。

 そして、人が、単に社会的な成功の程度という結果だけで評価されるのではなく

その努力という過程によって評価されるということ

それが、スポーツにおいてフェア・プレイが求められるように

社会においても大きな要素を占めるようにならなければ

公正な社会とはいえないのではないだろうか。

 そうした文脈では、三木先生の政治信念である「汗をかいた人が報われる」ということは、

公正な社会の実現のために的を射たものであり、これこそが社会の閉塞感を打ち破り、

日本全体を活性化させる特効薬となりうるものであるといえよう。

 

 そのためにも、三木先生には二つのことをお願いしたい。

 まず一つ目としては、汗をかく言葉はわかりやすく美しいが

そのままでは抽象的で掛け声倒れに終わるおそれもないわけではない。

そこで、それを具体的な政策に落とし込むことで

明確化することを求めたい。

特に、上述のように、社会的な成功という結果に対しては

様々な要素が複雑な影響を与えることになるが

その中で努力という項目を正当に評価できる基準を確立できるような政策をお願いしたい。

 そして、今一つは、たとえば家庭環境など努力以外の要素が

努力することそのものを困難にしているのではないかとの指摘への対応である。

もちろん、万人のスタートラインを平等にせよという共産主義的な発想は現実的ではない。

しかしながら、努力が結果に影響を与えうるようにする政策の定立により

「努力しても無駄」という状況をなくすことはできるのではないだろうか。

 いずれも難題ではあろうが、三木先生ならば必ず実現できると信じて

その奮闘そしてその流す美しい汗に期待したい。

スポーツ選手が応援を受けてより良い結果を出すことができるのと同様に

私たちも彼を応援したい。

 

 

 

                  東洋大学大学院法学研究科長・教授 清水宏

-2-美しい理由
-3-願い
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+あとがき

 三木とおると清水宏

三木とおるWEBを

編集している私は二人の事を

よく存じています。

 三木、清水、私、 

三人集まった時の

思ひでは多々あれど

最初に思い出すのが

一九九八年六月十四日

FIFAフランスワールドカップ

日本ⅤSアルゼンチン

この試合の日

清水君のアパートで

三人で観戦となりました。

ドバイの悲劇

ジョホールバルの歓喜を経て

キング・カズ更迭等

漫画より事実は奇なりな

蹴球劇場のクライマックスは

バディの一発で沈む

悲劇でした。

今なら「バディ半端ないって」

​とでも言うのでしょう。

どんなに努力をしても

報われない。

そういう瞬間と言えます。

とは言へ

不思議な事にあの日

肩を落とすよりか

夢も希望も溢れる一夜

​だったことを思い出します。

寄稿にあたり快諾くださった

清水教授に感謝申し上げます。

​        ・編集者S

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